サブカル糞野郎のあの日々。「宮台教授の教え子来る」

当時、僕はあるブラック企業にて働いていた。ちなみに、その映像制作会社は数ヶ月前の「CGワールド」で特集記事を執筆していたので、多分その分野においてはそれなりに評価に値するセンスや技能を持ち合わせたクリエイティブチームである。ただ、当時は法人化間もない企業ということもあったのか、僕にはかなりきつい部分が多かったのだが、、、何故か才能があるのに映像制作会社に入社できなかったという、よくわからない若者に遭遇したので、うちの会社に来なよーと誘ってしまった。それが、首都大の社会学部の四年生だった荒牧康治くんである。彼は、当時世界的な映像コンペティションなどにも作品が上映されていたので、何故他の人が手を挙げなかったのか謎であったが、、、。
それからすぐに僕は後悔。当時の社長は罵詈雑言が凄まじく、狭いオフィス内を毎日お経のように悪口が絶え間なく流れており、こんな有能な若者をブラック企業に入れてしまったことを悔みました。そして、毎日悪夢にうなされ、欝になって薬の副作用で気持ち悪くなり余計に体調が悪くなり、遂には無断で辞めるにいたったわけです。
その退社後に一度会った荒牧くんによると「以前より悪口減ったので、辞めたのが効果あったんだと思いますよー」と言っていましたが、いまでは素晴らしい映像作家となっているので、僕の引退で若者が救われたならほんとよかったなーと思いますが、多分リップサービスでしょうね!有能な若者はコミュニケーション能力も高いのだと思いました。
でも、おかげで気が楽になりました。

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